はじめに
「日本に生まれたという幸運なのに、なぜ人はそれ以上を望むのか?」というのは、幸福や欲望の本質を考えるうえで、とても本質的なテーマです。
ここでは、心理学・哲学・社会構造の3つの観点から整理してみましょう。
① 心理学的観点:人間の「適応」と「比較」の本能
人間には「快に慣れる」という性質があります。
これを心理学では 快楽順応(ヘドニック・トレッドミル) と呼びます。
- どんなに恵まれた環境でも、人は時間が経つとそれを“当たり前”に感じる。
- すると、次の満足を求めて「もっと上」「もっと良く」を探す。
たとえば、戦後直後に生きた人たちは「食べられること」自体が幸福でした。
しかし、令和の日本では「栄養バランス」や「映える食事」など、より高次の満足を求めるようになっています。
つまり、人間は“現状に慣れ、それを基準に次を望む”という進化的な仕組みを持っているんです。
② 哲学的観点:人間は「意味」を求める存在
哲学者ヴィクトール・フランクルは、
人間は快楽や権力ではなく、「意味」を求めて生きる。
と言いました。
「日本に生まれた」というのは確かに幸運です。
安全・清潔・医療・教育など、世界的に見てもトップレベルの環境。
でも、それは“生存の条件”が整っているというだけで、
“生きる意味”を自動的に与えてくれるものではありません。
人は「なぜ自分は生きているのか」「何を残したいのか」を探し続けます。
この“意味への欲求”が、「それ以上を望む」原動力になります。
③ 社会構造的観点:競争と比較の社会
現代日本では、生活水準が高い一方で、他人と自分を比較しやすい社会でもあります。
SNS・教育・経済の仕組みが「上を目指す」方向に人を動かすよう設計されているからです。
- SNSでは、他人の成功や幸福が可視化される
- 学校や企業では、「平均より上」であることが評価される
- 経済は「成長」を前提として動いている
この構造の中では、「今に満足する」ことが“停滞”や“怠け”のように感じられる。
そのため、個人の欲望だけでなく、社会的圧力としても「もっと望む」ことが奨励されているんです。
④ 結論:望むこと自体は悪ではない
「それ以上を望む」ことは、実は人間の自然な営みです。
問題は、「なぜそれを望むのか」を自覚していない場合です。
- 他人と比べて望む → 果てがない
- 自分の成長や意味のために望む → 充実した人生になる
つまり、「日本に生まれたという幸運に感謝しながら、 その上で自分らしい“望み”を持つ」
これが成熟した幸福の形だと言えるでしょう。